モンテビデオ

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ウルグアイの首都であり、メルコスールの事務局が置かれている都市である。ウルグアイの南部、ラ・プラタ川の左岸河口に位置し、ウルグアイ最大の都市であり、2004年における人口は約132万人である。ウルグアイ最大の貿易港を兼ね温暖な気候で知られる。美しい砂浜を備え、ポシトス、ブセオ、マルビン、プラヤ・デ・ロス・イングレス(イギリス人の砂浜)、プラヤ・ベルデ(緑の砂浜)、プンタ・ゴルダ(太い岬)、カラスコなどがあり、観光地としては他に、多くの記念碑や博物館が歴史的な建物や通りと同じぐらいある。マーサー人的資源コンサルティングによると、モンテビデオはラテン・アメリカで最も生活の質が高い都市である。(ブエノスアイレスとサンチャゴ・デ・チリが続く)

世界でも安全な都市の30位に入る。

モンテビデオ市民はヨーロッパ人の影響を特に強く受けており、イタリア系、スペイン系の家系が最も一般的だが、その一方でアフリカ系ウルグアイ人の家系やユダヤ人の共同体の存在も重要。

移民

19世紀から20世紀にかけてウルグアイに流入した多様な移民の出身国を列挙すると、圧倒的に多いスペイン人、イタリア人に次いでフランス人、ドイツ人、ポルトガル人、イギリス人、スイス人、ロシア人、ポーランド人、ブルガリア人、ハンガリー人、ウクライナ人、リトアニア人、エストニア人、ラトヴィア人、オランダ人、ベルギー人、クロアチア人、ギリシア人、スカンディナヴィア人、アイルランド人、そしてアルメニア人となる。

しかし、移民受け入れ国だったウルグアイも、1970年代の抑圧的な軍政の時代には実に国民の17%にもなる50万人のウルグアイ人が国を捨てて出て行った。ただし、こうして去っていった人々の中には軍政が終わると祖国に帰ってきた者もいた。

サッカー

ウルグアイ代表(ロス・チャルーアズ)は、かつては同じ南米のブラジル、アルゼンチンと併せて3強と呼ばれ、欧州からも一目置かれていた程、世界の強豪に全く引けを取らなかった。
第一回の1930 FIFAワールドカップ大会では初代優勝国となり、ブラジルで開催された第四回の1950 FIFAワールドカップでも、リオ・デ・ジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンで行われた決勝戦にて、アウェーの満員のスタジアムでブラジル代表を逆転で破り、見事二度目の優勝を飾った(いわゆるブラジル側から見たマラカナンの悲劇)。

また、FIFAワールドカップが始まったそもそものきっかけも、実はこのウルグアイである。ウルグアイ代表がオリンピックのサッカーで1924年、1928年と連覇を成し遂げ、それからサッカーの人気が広まりFIFAワールドカップが始まったのである。

しかし、現在では古豪と呼ばれて低調が続き、2006年ドイツ大会では南米予選5位でオセアニア1位のオーストラリア代表とのプレーオフに敗れ出場権を逃した。

プロクラブとしては、ペニャロール、ナシオナル・モンテビデオ、デフェンソール・スポルティングなどのサッカークラブがある。

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温泉の会・・・

モンテビデオから北へ約500km、ラ・プラタ河北部のサルト県(Salto)とパイサンドゥ県(Paysandu)には温泉があり、地元でも人気のスポットとなっています。

市営温泉や私営のスパ、ホテル内のスパ、緑の中に広がる開放的な温泉など、さまざまなタイプの温泉施設があります。
日本と違い浴場はプールタイプで、入浴時は水着を着用します。
温泉プールは温度によって分かれており、40~46℃ほどの温泉で入浴気分を味わえるものから、ぬるめで水遊び感覚で浸かることのできる38℃以下のものなどさまざまな種類があります。

ウルグアイ国内やアルゼンチンからの観光客の多くは、ぬるめの湯にのんびりと浸かっておしゃべりし、ときおりプールから上がってマテ茶を飲んで温泉を楽しんでいます。

野鳥の会・・・

先住民のグアラニー語で「色を塗られた鳥の棲む川」を意味するウルグアイ川にちなんで
命名されたほど、鳥になじみの深いウルグアイ。

国内には、海岸線に9カ所、内陸に11カ所の野鳥観察所が設けられています。これらの野鳥観測所は、ホテル、レストラン、観光用の農牧場が近郊にあるなど、周辺には観光客に便利な施設が充実しています。

ロチャ湖は、黒首白鳥(Cisne Cuello Negro、学名:Cygnus Melanocoryphus)やフラミンゴ(Flamengo、学名:Phoenicopterus Chilensis)が観察できることで有名。
また、野鳥観察所まで行かなくても、市街地の電柱や柱、屋根にはカマドドリの巣(Nido del Hornero)があるので探してみましょう。
これら440種以上の野鳥が、ウルグアイには生息しています。