プンタ・デル・エステ

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スペイン語で「東の先端」を意味するプンタ・デル・エステは、
モンテビデオの東約138kmに位置するリゾート都市。
果てしなく続くビーチ、森のような街路樹と芝生の公園、
透明な海水を求めて11月~3月のシーズンともなればウルグアイ人だけではなく、
アルゼンチンやブラジルなどの周辺国から多くの人々が休暇で訪れます。

コロニア・デル・サクラメント

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コロニア・デル・サクラメントはウルグアイ南西部コロニア県の県庁所在地。ラプラタ川沿いにあり、対岸にはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスがある。ウルグアイ最古の都市で、2004年の統計では人口21,714人。

コロニア・デル・サクラメントは1680年にブラジルから南下したポルトガル人にコロニア・ド・サクラメント(Colônia do Sacramento、ポルトガル語)として建設されたが、対岸のブエノスアイレスを拠点としていたスペイン人との間で後に争いとなった。

この都市は1750年のマドリード条約や1777年のサン・イルデフォンソ条約など、条約が結ばれるたびにスペイン領になったりポルトガル領になったりした。

1816年以降はウルグアイ川東岸地帯全域がブラジルの支配下に置かれた事から、この町もリオ・デ・ジャネイロ政府に統轄された。

音楽について・・・

タンゴ(ウルグアイ・タンゴ)やミロンガ、ブラジルのバツカーダに似た黒人音楽カンドンベや、ムルガといった音楽の本場であり、チャマメやパジャドールなど幾つかのフォルクローレはアルゼンチンと共通している。特に有名な人物としてはアルフレド・シタロッサなど。

多くのミュージシャンは市場規模の違いからブエノスアイレスに渡って活動する傾向があるため、古くはフランシスコ・カナロ、ウーゴ・ファットルーソやルベン・ラダ、エドゥアルド・マテオから、ハイメ・ロース、スペイン語で初めてアカデミー賞を取ったマエストロ、ホルヘ・ドレクスレルに至るまで、アルゼンチンの音楽界で活躍するのが実はウルグアイ人だったという事例には事欠かない。 また、ロックが盛んでウルグアイのロックはブエノスアイレスの音楽シーンで人気を博したことを皮切りに、1960年代半ばまでの南米市場を席巻した。この現象はアメリカではウルグアヤン・インベイジョンとも呼ばれる。

食文化について

隣国アルゼンチンと同じく大畜産国である歴史を反映して、ウルグアイではアサードやチュラスコ、チョリソなど肉を多く食べる。また、イタリア移民が多いためスパゲッティ等のパスタ類が人気である。その他の料理にはエンパナーダなどがある。

ラ・プラタ諸国の中でも特にマテ茶を好む国であり、アルゼンチン人とウルグアイ人を見分ける時は、マテ壷を24時間手放さないのがウルグアイ人であるといわれている。ウルグアイ人はマテ茶をアマルゴ(砂糖なし)にして飲むことを好む。

ひと

多くのウルグアイ人はたとえイタリアやイギリスの血統が入っていようが、背景としてスペインの文化を共有する。総人口の88%がヨーロッパ系の住民で、主要少数民族としてはメスティーソが8%、ムラートとアフリカ系ウルグアイ人が4%を占める。数百人の日系人も存在する。

ウルグアイはスペイン語を話すラテン・アメリカの国である。19世紀まではスペイン植民地の中でもコスタ・リカと並んで特に辺境の地であったが、1700年代の後半に都市の発展により黒人奴隷がポルトガル奴隷商人によってアンゴラやコンゴ付近や赤道ギニアから輸入された。バンダ・オリエンタルと呼ばれたこの地の住人は自らを東方人と呼び、独自のアイデンティティを持っていた